2022年06月22日

福島原発事故最高裁判所判決

令和4年6月17日選択的夫婦別姓訴訟最高裁判決が下された。この裁判の訴訟には、幾千人もが、訴訟に名を連ねた、所謂福島原発事故に懸かる国の責任について問うもの。結論は、国の責任は問わない、という最終判断だった。この審判は、とりわけ与党政党に関わる面々以外の眼には、何処に目を向けて審判したのかその裏面がはっきりと映し出されたものだとの思いを致すと、憲法の不備を嫌が応にも思いしらされる絵模様に思えてしまう。このことは、近年日を追う毎にその様相が顕著になってきている。国民一人一人が、今一番目を向けるべき国の在り様は、的は日本の裁判所それ自体にある、と考える。当日 早速時間は十分あるので日本の裁判官と裁判所について想いを巡らすことに。そして 推考。 少し時間をおくことに、感情に流されそうなので。
そうしたら本日22日朝日新聞の耕論に接して、3人の見解が載せられていた。それを読んで、驚いたことに3人それぞれの内容は、公開と多様性、女性判事の少なさ、司法の弱さ(我が身の保身)の現れに取れ、数日前に下書きした我が懸念箇所に通じるものが何カ所も触れられ、今日の我が国の司法の独立性は、有名無実の状態で、それを甘受せざるを得ない国民は、明日は我が身、と裁判所に対して見方を改めるべき時期に来ていると思われたのだ。
民主主義とは、なんだろう。それは、社会を構成する人々の意見を持って構成する事によって成り立つ、ともいえるのでは。
その具現化を担う1次的責務は、国家であり二次的には、それを司る行政であり、その蜜を享受するのは主権利者である国民であり生活する住民である、といえるだろう。
翻って @我が国の裁判は、誰を保護するために存在する
    A裁判制度がなかったら、その結果 誰が苦しみ悩まされるのか
    B裁判制度の審判を司る立場を元で司るのは誰なのか
    C裁判制度が如何あれば圧倒的後半に受け入れられる制度になる、又如何あるべきなのか
@言わずとも誰でも国民を守るためだ、と考えるだろう。しかし 実際の運用では、国民を巻き込むような裁判での最終判断は、大方 真逆の被告側を養護するケースが殆どだ。被告は、政府であったり、地方自治体であったり、原告側は、泣き寝入りが殆どだ。何故だろうか。司法は独立して、専門的知識と見識を持って独自に判断を下す、と 納得しやすい言葉が後に続く。裁判官は、三権分立で身分が保障されている、とする。果たして事実か。任命は、最高裁長官は、首相で、判事は、内閣で任命。下級裁判所でも内閣の任命になる。言い換えれば、政権の内閣にその身分が握られているのだ。一般企業のヒエラルキー社会と同じ構図にある。身分は、決して補償されていない。政府側の意図に反する審判を下すと言うことは、出世はもとより冷や水をもまされることを覚悟しなければならず、殆ど裁判官の職業を諦めることに繋がる。司法の独立と言うが、司法の中での個々の身分は、独立してはいない。司法修習を経て、任官時点から最強のヒエラルキー社会の元で、強烈な縛りを実感しながら社会正義を求めるのか、それとも組織の長を目指すのか必ず判断を求められる。
Aということは、相当多くの裁判で、国民の願いに反した、言い換えれば 国民の利益を否定する結論が導き出されるのである。
B個人対個人等の事件に当たっては、純粋に個人個人と個人の関係を争う場合には、その専門性を発揮して、納得の得られる信頼性の高い審判が期待できる。個々では、司法の支配権の行使は、姿を見せることは殆ど無い、と言えそうだ。
Cそれでは、17日の最高裁の審判は、如何だっただろうか。数千人の訴訟人と国側が対峙した裁判であった。
結論を導き出すはずの論理は、殆ど屁理屈を並べてそれを駆使し、現実を覆い被そうと、如何読み直しても信頼できる理由をその判決理由からは、読み込むことが困難な文章を駆使し、しょうが無い、と言わせようとする向きを思わざるを得ない。日本憲法をはじめとする六法に相当な時間と労力を費やし得た法律知識を其処に見出すことは出来ない。最後の審判である最高裁判所の出した判決だ。之が判例として扱われる、ということだ。
 結果 国民をして下された判決は、国民を守るための基本法である憲法から離れ、国や国民を守らなければならない義務が求められる国会議員であり政権党であり、大臣であり、それに連なりぶら下がる官僚であり、
そして 距離を置くことを期待される内閣や各省庁 その長たる総理大臣のお目にかなう様努めて寄り添う判決を下すことになるのだ。
それでは、如何すれば、国民から真の信頼を得る裁判所、裁判官は生まれるのだろうか。
政治的な問題を孕んだ裁判が、裁判所の品格信用度を揺るがすのであって、刑法や商法、会社法等は、現在も適切に行使されていると、今後も左様な期待ができるのでは、と期待する。問題なのは、公共機関を相手とした場合であり、其処には、表に出ない、組織上の問題が、大きな役割を果たしている。そこで改革が求められるのは、この裁判官の組織である司法行政部門の現行組織構造と運用を国民全体に公開する組織に改編、総務局長、人事局長、首席調査官それに民事行政局長の定期開示と全体指向。最高裁判所裁判官の国民投票の導入(国民の信任を得ての裁判官には、その仕事の評価は期待出来民主主義の原点にある)を憲法に定める。
とりわけ首席調査官、人事局長と民事行政局長の動向は、国民の目に見える来ような構図にしなければ、民主主義の発露に繋がらないだろう。
posted by 志広歩如 at 14:54| Comment(0) | 社会全般